第捌話 宿志






 数週間経って、傷も少しながら回復の兆しを見せてきた頃、皆は広間に集まった。空気はどんよりと濁っていて、志士達の表情も暗い。高杉が、□を開いた。
「どうだ、傷は。まだ治ってねェか?」
 この言葉に、多くの浪士達は驚いたように顔を上げた。まだ戦う気なのか、と言いたげではあったが、誰も口を開かないまま俯いてしまった。代わりに桂が言う。
「高杉、そう急くな。こちらが完全に体制を建て直しておかねば、勝てるものも勝てん」
「んな悠長な事言ってられっかよ」
 高杉は厭わしそうに桂を見た。
「俺たちがこうしてる間にも、天人はどんどん増えてきてやがる。これを止めるには、俺たちが再び立ち上がるしかねェ」
「無茶だと言っているのがわからないのか!まだ時期ではない」
「じゃあ時期っていつなんだよ」
「せめてあと一月は・・・・・・」
「んなに待てるわけねェだろ!」
「だが、高杉!」
「・・・・・・もう、いーじゃねえか」
 二人の言い争いが白熱してきたところで、おもむろに、銀時が口を挟んだ。だるそうに立ち上がり、広間の柱にもたれかかる。視線の先は、定かではなかった。
「・・・・・・銀時?」
「いいってなんだよ」
 桂も高杉も□論をやめ、怪冴そうに銀時を見た。
「だから・・・・・・もう、攘夷はやめにしねーかって言ってんだよ」
 この言葉に、広間は沸いた。喜びとも、怒りともとれる感情が皆の顔に現れる。途端に、桂が立ち上がった。
「銀時・・・・・・気でも狂ったか!貴様は松陽先生の言葉を忘れたというのか!」
 桂が銀時の胸ぐらを掴んで怒鳴り散らした。銀時は一旦は目を伏せたものの、松陽という名前が発された瞬間、鋭く桂を睨んだ。桂は僅かに怯んだ。
「・・・じゃあ間くけどよォ、松陽先生は仲間を大量に失っても戦い続けろっつったか?全滅しても構わないから天人と戦えっつったかよ」
「・・・それは・・・」
「俺たちがこのまま全滅でもしようもんなら、この意志はどうなるんだ?もっと他に方法を探して、欠片でもいいから未来に持ってくべきじゃねーのかよ」
「・・・・・・・・・」
 桂は銀時を離した。銀時も、桂から視線をはずした。
「俺の身体がどうなろうか別にどうだっていい。ただよォ・・・もうこれ以上、俺以外の誰かが死ぬとこなんざ見たくねーんだよ」
 銀時はそれを言って、黙った。他に発言する者も無い。
 坂本が抜けたあの日から、彼はずっとこの事を考えてきたのかもしれない。坂本の未来を見据えた考え、仲間を思う気持ちを真っ直ぐにぶつけられて、心動かされたのかもしれない。彼は、当初の半分以下にまで減ってしまった仲間達を見て、一体何を思ったのだろうか。誰にもその気持ちを打ち明けられずに、苦しい日々を送ってきたのだろうか。
「高杉、ヅラ・・・・・・俺、抜けてもいいか?」
「・・・・・・銀時」
 桂が、目を見開いた。高杉に特に変化は見られない。志士達は不安そうに成り行きを見守っている。それは皆を動揺させるには、十分すぎる言葉だった。攘夷派としてみれば、白夜叉という異名を持つほどの男に抜けられるのは痛手だ。それを抜きにしても、塾時代からの同朋を失うというのは、皆には耐えがたいことだろう。柱が一本消え去るのだ。どうもないわけがない。
「銀時、考えなおしてくれないか?お前がいなくなったら、俺達は・・・・・・」
「・・・・・・ヅラ」
 銀時が桂を見た。今までになく真剣な瞳に、桂は言葉を失ってしまった。
「俺はこの先ここにいても、きっとお前らの望むようには動けない。だから抜ける。・・・・・・わかって、くんねーか」
 否定も肯定も出来ずに、桂は高杉に視線を送った。高杉は俯いていて、表情が読めない。
桂は深く、息を吐いた。そして眉間に深く皺を刻んで、目を閉じた。その行動は、桂が銀時を赦したという事以外の何物でもなかった。
「・・・・・・好きに、しろ」
「・・・・・・ありがとよ、桂」
「・・・・・・!」
 普段からヅラと呼ぶなと言い続けてきたのに、一向に止める気配のなかった銀時が、最後だからなのか、それを止めた。変に律儀な男だ。だからこそ、自分達の中で一際大きな光を灯していたのかもしれない。だがその光は・・・皆の希望の光は、優しすぎるが故に皆の元を去る。何とも皮肉なことである。
 銀時は柱から離れて、歩を進めた。
 高杉の前まで来たところで、一旦足を止める。
「・・・・・・高杉」
「・・・・・・」
 反応が、無い。顔を上げさえしない。許す気が無いのだろう。だが、それも仕方がない。銀時はそれだけのことをしたのだ。銀時は寂しそうに彼から目を逸らすと、また歩き出した。

    刹那、高杉は立ち上がり、銀時の背中目掛けて刀を振り下ろした。
「銀時!」
 桂の悲痛な声が飛ぶ。それよりも早く、銀時は振り向いた。
 直後、きいんと、乾いた音が鳴り響いた。
「・・・何すんだ、高杉」
 間一髪のところで刀を抜き、その攻撃を凌いだ銀時は、声を荒げる事もなく尋ねた。流石の身のこなし、白夜叉と謳われているだけはある。
「いやァ、袂を分かつってんなら、生かしておくわけにはいかねェと思ってよォ」
 至極楽しそうに口元を歪めながら、しかし目は全く緩ませずに高杉が言う。
「自分の手から離れるなら殺すってか。王様気取りですかコノヤロー」
「ハッ・・・・・・王様なんて安っぽいもんじゃ満足できねェな」
 自然と、二人の手に力が入る。どちらに傾くこともなく、刃が震える。
「高杉・・・・・・悪いけどな」
「あァ?」
「俺はお前に・・・殺されねえ自信がある」
言うなり、銀時は高杉の刀を払った。そして、間髪入れずに斬り付ける。再び、鋭い音が鳴り響いた。同時に高杉が喉で嗤う。
「流石は天下の白夜叉さまだなァ・・・天人達とは動きが違ェ」
「あの気持ち悪いのなんかと比べないでもらいてーな。俺アレよりはかっこいいから」
「いや、いい勝負じゃねェかァ?」
 高杉は、腕の力を緩めた。気付いた銀時も、それに倣った。自然と、刀が離される。黙って成り行きを見守っていた桂が、ほっと息をついた。
「今日はこれくらいにしといてやる」
「勝てないから言い訳か?」
「飽きたんだよ。テメェ殺したってつまんねェだけだ」
「それはどうも」
 チン、と刀を鞘にしまうと、銀時はいつものだらしない笑みを浮かべた。
「じゃあな。せいぜい死なないように頑張れや」
「テメェもな」
 勿論、高杉も普段通り、ニヤリと笑った。そして道を開け、銀時はすっとそこを通り技けた。 それは、あまりにも呆気ない、別れの瞬間だった。

 ほとんどない荷物を肩に掛け、銀時は屋敷を出た。空を見上げるが、お世辞にも晴れているとは言えない。最近はこんな天気ばかりだ。銀時は、上を向いたまま目を閉じた。声は、聞こえない。少し嗤って、彼は歩き出した。
 数歩行ったところで、ふと立ち止まり、振り返る。ぼろぼろの平屋が、既に懐かしく思えた。
「・・・・・・すまねえ」
 そう一言だけ呟くと、銀時は深く頭を下げて、去っていった。
 後を追うように、風が強さを増した。