第伍話 超克






 まだ皆が寝静まる早朝、雑居の引き戸が控えめに開けられた。大きな身体を器用に折り曲げて、荷物を持った坂本が出てくる。続いて、軽装の銀時も現れた。丁寧に戸を閉めると、二人揃って歩き出す。雑居内が特に暖かい、といったことも無いのだが、冬の冷やりとした外気は、二人の肌を刺した。
「おー、こりゃ寒いのー!」
 坂本は腕をさすりながら笑った。それを見た銀時は、呆れたようにため息をついた。
「もうちょっと前閉めりゃーいいんじゃねーの?」
「おお、確かにそうじゃな!アッハッハッハ」
 そう言いながらも、坂本は合わせを直そうとはしなかった。その頑固さを銀時は認めていたが、それが今回の離別の一因だと考えると何とも言えない気分になる。銀時が言葉を続けられずにいると、坂本は少し笑って、手に持っていた笠を被った。
「金時のマジメな顔なんて、初めて見たぜよ」
「・・・テメーはホント失礼だな。ていうか俺銀時なんだけど!ぎ、ん、と、き!」
「知っとるぜよ!金時じゃろう?き、ん、と、き!」
「・・・あー、もういいわ、何でも」
 銀時は頭を抱えているというのに、坂本は悪びれもせずに笑っている。こんなんが宇宙に行って大丈夫なのかと、彼は心底不安になった。速攻でのたれ死ぬんじゃねーのか。そんなことは全く知らない坂本は、笑顔を絶やす気配さえない。肝が据わっているというか何というか・・・。銀時はもう一度、小さくため息を落とした。
 「・・・こっからの景色も、もう最後になるんじゃのー」
 門の前の階段のところまできて、坂本はしみじみとそう呟いた。よく登っていた雑居の屋根を見上げて、懐かしそうに目を細める。
「お前が出戻りさえしなきゃな」
「そんなみっともないことはしないぜよ」
「勿論俺らだって受け入れてやんねーよ」
 なんじゃ、手厳しいのー、と坂本は笑った。少し寂しそうなその横顔を見るのが嫌で、銀時は目を逸らした。二人の間に出来た隙間を通り過ぎた北風が、近くの木々を揺らす。うるせーよ、と銀時は心中で悪態をついた。
「・・・俺ら、っちゅうことは、やっぱり気が変わらんかったってことか?」
 坂本の問いかけに、銀時はゆっくりと頷いた。
「俺は、ここに残る。お前と一緒には行かねーよ」
 予期していたのか、坂本もすんなりと頷いた。その表情は、少し安堵しているようにも見えた。
「・・・そーか。お前がおりゃあ、面白か漁になると思っちょったんだがのー」
「ワリーな。こう見えても地球が好きでね」
 銀時は明らんできた空を見上げて、続けた。
「宇宙でもどこでもいって暴れ回ってこいよ。おめーにゃちまい漁なんざ似合わねー。でけー網宇宙にブン投げて、星でも何でも釣りあげりゃいい]
 坂本は俯いて少し笑った。そしてまた顔を上げると、言った。
「・・・・・・おんしゃこれからどーするがか?」
「俺か?そーさな・・・・・・」
 銀時は空から遠くの山々に視線を移した。
「俺ァのんびり地球で釣り糸たらすさ。地べた落っこっちまった流れ星でも釣りあげて、もっべん宙にリリースよ」
「・・・・・・頼もしい奴じゃ」
 二人して笑い合ったところで、ひゅうと冷たい風が吹き抜ける。それはまるで坂本を急かしているようで、銀時には鬱陶しく感じられた。
「・・・・・・そんじゃ、そろそろ出るきに。皆に宜しく頼むぜよ」
「おう」
「それから・・・」
「あ?」
 坂本は気まずそうに笠で顔を隠した。そのまま、小さな声で話し始める。
「高杉に・・・すまん、と・・・伝えてくれんか?」
「・・・・・・そりゃー俺の仕事じゃねーな」
「・・・・・・」
「今度会った時にでも、自分で言えよ。・・・ありがとう、ってな」
「・・・・・・!・・・そうじゃな・・・」
 笠から現れた坂本の顔は、いつもの通りの笑顔だった。何ニヤニヤしてんだよ、と銀時は彼を小突く。
「頭殴ったら細胞が死ぬんじゃぞ!バカになってしまうじゃろー」
「心配すんな。もう十分バカだから」
「ちょっとはフォローせい!」
 別れ際とは思えないやりとりに、銀時は自然と頬が緩んだ。何ニヤニヤしとるぜよ、とすかさず坂本からツッコミが入った。しかし、振り上げられた右手は、そのまま銀時の前に差し出された。
「お別れの握手じゃ、銀時」
「これが永遠の別れになんなきゃいいな」
「・・・普通、出発前にそんな縁起の悪いこと言うかー?」
 銀時は坂本の手を取った。外はこんなにも寒いというのに、彼の手は暖かい。やはりこの別れは必要なものだったんだと、銀時は少しだけ嬉しくなり、そして安心した。コイツなら、大丈夫だ。辰馬なら、きっと。
「・・・よーし、じゃあ行くぜよ」
「おう」
 手を離して、二人は向き合う。それぞれの瞳に、もう迷いはなかった。
「・・・・・・頑張れよ」
「おんしもなー」
 坂本が背を向け歩きだしたのと同時に、銀時も踵を返した。お互い、決して振り向きはしなかった。