第肆話 疼痛






   オイ、銀時ィ」
 翌日の夜、珍しく誰もいない広間で銀特がうとうとしていると、高杉がやってきた。
「んあ・・・・・・あれ、高杉?」
「んだよその意外そうな返事は」
「え、だって意外だろ、お前がこの時間ここにいるなんてよ」
「たまにはそんな気分の夜もあんだよ」
言うと、人が五人は座れそうなほどの間隔をとって、どかっと腰を下ろす。その後暫くは何の会話も無い。遠くで浪士たちの話し声が微かに響いている。こいつは一体何をしにきたのかと、銀時はちらりと視線を送った。高杉の目は、窓の外で夜風に当たる坂本の背中を捉えていた。途端に合点が行って、切りだす。きっと高杉も、あの話を。
「辰馬、抜けるってなー」
 高杉は驚いたように銀時を見たが、すぐに顔を戻した。
「・・・らしいなァ」
「何だっけ、なんか星を掬いあげたいとかメルヘンなこと言ってたな。アレ本気かな」
「例え話に決まってんだろバカ」
「あ、そうなの?」
 銀時はぼりぼりと頭を掻いた。高杉は呆れたように深くため息をつくと、頭をだらんと垂れた。
「・・・・・・昔はよォ」
「あ?」
「俺らがまだガキだった頃は、なーんも考えてなかった」
「・・・・・・?」
 銀時が訝しげな目を送るが、高杉は気にせず続ける。
「思うままに暴れて、勉強とか適当でよォ・・・・・・松陽先生はいつも怒ってたなァ」
「あー、そうだったな」
「先生が処刑されたあの日以来は、色々考えて生きてきてるつもりだったが・・・・・・とんだ誤算だったみてェだ」
「・・・・・・高杉?」
 高杉はそこで立ち上がると、窓の方へと歩いていった。今日は曇っていて月は見えない。坂本も、いつの間にか姿を消していた。
「俺ァ、人を上手く引き止める言葉さえ知らねェ。考えたってちっとも浮かんで来ねェ」
「・・・・・・・・・」
「あの時だって、最後の見送りは俺だった。なんも知らずに見てたよ、あの人の背中を。 きっと何かの仕事だろうってよォ・・・・・・笑っちまうぜ」
 ああ、そうだ。俺は何も知らなかった。先生の教えが反幕府的なものだったことも、先生の身に危険が迫っていたことも   



「今日はどこ行くんだよ、先生」
「今日はね・・・ああ、晋助は今日はお留守番なんですよ」
「なんで?」
「今日は大人だけの大事なお話会があるんです。晋助はここに残って、皆のお世話をして下さいね」
「そういうのは俺じゃなくて、ヅラがやるよ」
「はは、それもそうですね。・・・おや、こんなところに・・・晋助、これを見てごらんなさい」
「・・・花?」
「そう。山茶花です」
「こんなの見て、なにが楽しいんだよ」
「地面をごらんなさい。ここは土壌が良くない。けれどもこんなに大きく育っている。どうしてだと思いますか?」
「誰かが水あげてるから?」
「どうして、その人は水をあげているんだと思いますか?」
「どうしてって・・・・・・花が咲いてほしいって思ったんじゃないの?」
「ええ、私もそうだと思います。だから見ていて楽しいんですよ」
「どういうこと?」
「例えるならば、晋助はこの山茶花で、私は水をあげる人なんです」
「・・・・・・?」
「土台は決していいとは言えませんが、私は出来る限りのことをして、君たちを開花させたいと思っています。ただ一心に水をやって、君たちが美しく咲き誇るのを心待ちにしているんです。この国を背負って立って、この国に生まれたという誇りを胸に抱いて、生きていってほしいと願っているんです」
「・・・難しくてよく分かんねー・・・けど、先生はそうやって生きてるのか?」
「ええ、そうですよ。私はこの国が大好きです。先人たちが作り上げたこの秩序を誇りに思っています」
「じゃあ、俺もそうやって生きる。先生がそう思うなら間違いないから」
「晋助は賢い子ですね。・・・では、皆を頼みましたよ。私がいなくても、しっかりと勉学に励むこと」
「分かってるよ。先生も出来るだけ早く帰ってきてよ。先生がいないとすぐ銀時が怠ける」
「・・・分かりました。なるべく早く」
「うん。いってらっしゃい」
「いってきます」




    それきりだった。
 一泊すると聞いていたから、俺は次の日、あの山茶花のところで待っていた。次の日も、その次の日も。・・・・・・山茶花は、いつの間にか花弁を落としていた。



「お前、まだ気にしてんのか・・・?」
「・・・・・・・・・・」
 返事はなかったが、その背中が肯定しているように銀時には見えた。
 普段から他人を寄せつけず、傷つくということに無縁だと思われがちな高杉だが、実は人一倍脆いのではないかと彼は思っている。傷つかない為に独りを貫き、それにより生じる寂しさを押し殺しているのではないかと。昔からそうなわけではなかった。あの日以来だ。
 あの日、先生は誰にも行き先を告げはしなかった。今思えば、それを不審だと感じるべきだったのだ。けれども皆、いつものように送り出した。だから、最後の見送りが高杉だったからといって、彼が責められる理由はどこにもないのだ。でも高杉は、まだその朝に縛り付けられている。
 ・・・だったら尚の事、坂本を引き止めるべきなんじゃないのか。彼に何かあったときに、一番傷つくのは・・・きっと、高杉だ。
「一言、抜けんなよって言えばいいだけじゃねーか」
「・・・・・・ククッ・・・・・・面白いこと言うなァ銀時」
 高杉の嗤った横顔を見て、銀時は諦めたように目を伏せた。
 そしてまた、彼は知っているのだ。高杉は人一倍優しいが故に、誰かを引き止めることさえも絶対に出来ないということを。

「お前の我侭は、誰にとっても許容範囲だと思うけどな」
 行くなよと言われて、嬉しくないと思う人間がいるのだろうか?お前が必要だと言われて、迷惑だと思う人間がいるのだろうか?そりゃ時と場合によるけど、でもそれを伝えようともせずに押し殺したままで後悔しないのだろうか?
「・・・ま、それは俺も同じか」
 高杉が去って一人になった部屋でそう呟くと、銀時は眠りに落ちた。