第参話 英断






 翌日は武器と兵糧の調達に皆奔走した。戦の真っ只中ではあるが、敵陣はこちらが攻め入らない限り、進撃してはこない。安心、というわけではないが、いつもよりは落ちついた雰囲気が漂っていた。
 調達から戻った高杉が広間で武器の状態を確かめていると、坂本がやってきた。
「高杉」
「おう、坂本。昨日はお楽しみだったかァ?」
「何を言うとるきに」
「何でもねェよ。・・・で、用件は何だ?」
 高杉が振り返る。坂本は立ったまま彼を見下ろして、言った。
「今晩、話があるぜよ」
「・・・・・・そりゃ楽しみなこった。湖でいいか?」
「ええよ」
 短く返すと、坂本は去っていった。

 高杉は再び視線を手元に戻した。だがどうにも坂本の態度が気になる。
「やけに真剣な目してやがった・・・・・・何事だ?」





 夕餉を済ませてすぐ、高杉は湖の畔へ向かった。
 戦に参加しはじめた頃に比べると、随分と日が短くなった。辺りはもう暗い。空を見上げれば、月が丸々と輝いている。今夜は満月だ。視線を下に落とせば、湖には虚妄の月が妖しく光っている。所詮は紛い物だ、これだって・・・下手すりゃ、俺さえも。言いようの無い圧迫感に、身体の内部が悲鳴を上げる。一体こりゃ何の仕業だ?何が俺をこんなにも痛めつける?誰にとも無く問いかけるように瞼を下ろせば、残像がちらつく。まるで俺を嘲るかのように、情けないと俺を罵るかのように、ずっと、ずっと。
 ・・・気にくわねェ。
 高杉は落ちていた石をがむしゃらに掴むと、湖に映る月に向かって石を投げた。その偽物は砕けて、頼り無く揺らめいていた。



「・・・・・・すまんのー高杉、中々抜けられんかったきに」
 聞きなれた声に振り向けば、そこには申し訳なさそうな表情を浮かべた坂本が立っていた。
「遅せェよ」
「だからすまんて」
 坂本が困ったように頭を掻く。だが、早く此処に来たのは自分自身であるし、元より責めるつもりもなかった高杉は、彼に話をするよう促した。

「・・・・・・実はの、言いだしにくい事なんじゃが・・・・・・」
「お前、抜けたいんだろ」
「・・・・・・・・・!」
 坂本が驚いたように高杉を見る。高杉は口の端を上げた。
「当たりだな」
「なんで・・・」
「勘だよ、勘。まさか当たっちまうとはなァ・・・ククッ」
 高杉は湖の方に向き直った。坂本は俯いて、言う。
「高杉、わしは・・・・・・」
「別に言い訳なんかしなくてもいいぜェ?俺にゃ関係ねェし」
「高杉・・・・・・」
「俺はともかくよォ・・・」
 まるで坂本の言葉を拒むかのように、高杉は話題を変えた。
「ヅラにそれ言ったら目茶苦茶怒りそうだよなァ・・・・・・『何を言っている、坂本!』とか言ってよォ」
 高杉は喉で笑った。坂本も薄い笑みを浮かべる。
「・・・だからヅラは最後じゃ」
「銀時は何て?」
「寝ちょった」
「・・・ハハッ!流石だな」
 大きく笑うと、高杉は再び姿を現した贋作の月を見つめた。さっきとなんら変わらない表情で、全く同じ場所に居座るそれは、まるで自分のようだと、高杉は思った。

「・・・そういや、なんで戦争なんか参加しにきたんだよ、テメェは」
「何を突然」
「いや、深い意味なんざねーよ。単なる興味だ」
 坂本は目を丸くした。高杉からはおよそ聞けなさそうな単語じゃ・・・興味なんて。何より自分に少しでも目を向けてくれたことが嬉しかったのか、坂本は薄く笑いながら腰を下ろした。
「なんだよ」
「何でも。・・・そうじゃなー・・・理由っちゅーには漠然としすぎてる気もするが・・・わしは、『皆』を救いたいと思ったんじゃ」
「・・・『皆』?」
 高杉が怪訝そうに坂本を見る。坂本は空を見上げた。
「この大きな空の下に、どれだけ人がおるかなんて知らんち。でも、この戦が続けばそのうちの何人かは確実に死ぬ。それを黙って見とくわけにはいかんと思ったぜよ」
「放っておいても寿命がくりゃ人間なんて皆死ぬ。救ったって無駄じゃねェのか?ましてや知り合いでもないのに」
「確かにそれはそうじゃが・・・でも町に死体がごろごろしてんの見ていい気はせんじゃろ」
「そうでもねえよ」
 高杉の返答に、坂本は苦笑する。
「・・・・・・わしの望みは、平和じゃ。皆が幸せに暮らしてるのが一番ろー。殺し合いなんぞ望んでないぜよ」
「あくまで『皆』にこだわるんだな」
「そりゃそうじゃ」
「・・・・・・俺は、一人でいいけどな」
 一人だけ。ただ一人、あの人さえ幸せに生きてくれるならば。叶わぬ願いとは重々承知しているが、それでも望まずにはいられない。もう一度、あの人に合わせてくれと。そうしたら今度は一人でどこかに行かせるなんて浅はかなことはしねェ。あの人の背中を黙って見ているなんて、そんな愚かなことは絶対しねェ。
「ん?なんじゃて?よく聞こえんかった」
「・・・何でもねェよ」
 情けないことを漏らしてしまったと、高杉は恥じ入るように嗤った。坂本は不思議そうに高杉を見上げていたが、それ以上追求することは無かった。

「・・・・・・坂本テメェ・・・戦やめたら何して暮らしてくんだ?」
「・・・商いをな、やろうと思っちょる。宙を飛び回る大きなやつじゃ」
「・・・へえ、そーかよ」
 少しでも迷いがちらつくようなら、一言言ってやろうと思っていたが、坂本の瞳を支配するのは、希望に満ち溢れた光のみだった。コイツなら、しっかりと自分の足で立って、生きていくに違いない。もう一度石を投げて水面の月を壊すと、高杉はおもむろに歩きはじめた。
「高杉?」
「いいんじゃねえかァ?お前らしくて」
「・・・・・・・・・!」
 坂本は弾かれたように立ち上がった。高杉の表情は見えない。が、先程の言葉が全てを物語っている。
「せいぜいヅラの説得頑張れよ。じゃあな」
 片手を挙げると、高杉は暗がりへと去っていった。坂本は嬉しそうに、そして少し寂しそうに、彼の背中を見送っていた。

「こんなに自分のことを聞かれたのは、初めてじゃ」
 雑居へと戻りながら、坂本は小さく呟いた。
 坂本が専ら行動を共にしているのは高杉たち、つまり元塾生である。旧知の仲である三人の間に、過去を詮索するような話題が出るはずも無く。だから自分からそんな話はしなかったし、必要だとも思わなかった。
「結構いいもんぜよ。『人』と関わるっちゅうのも」
『坂本辰馬』という人間を見てもらえることが、こんなにも心地よいことだとは今まで知らなかった。大勢のうちの一人ではなく、個人として認めてもらえることがこんなにも誇らしいとは。
「・・・・・・・・・」
 そんな居心地のよい場所をやっと見つけたのに、自分は自らそこを離れていく。おそらく二度と会うことなどないだろう・・・・・・何しろ、圧倒的不利なこの状況だ。・・・どうしてこうも上手くいかない?何故求めたものは目の前を掠めるだけで過ぎ去ってしまうのか。わしはただ、皆と・・・いや、『あの三人』と、平和に暮らしたいと思っただけぜよ。
 道端の石ころを蹴飛ばしながら、坂本は自分がこの時代にこの場所で生きていることを心底恨めしいと思った。