第参話 邂逅






    “付いてくるといい”という呼びかけは、銀時の耳には聞き慣れない言葉だった。
 珍しい真っ白な髪の毛と、我流の恐ろしい剣捌き。これらが総じて、人々は彼に「鬼」という異名をつけた。そんな彼に、「人」に対する言葉を使う者などいなかったのだ。
 もっとも、その時の銀時は、「人」ではなく獣であった。生きるために人を殺し、屍から食糧や武器を奪い取るのだから。
 しかしただ一つ獣と違っていたのは、彼が一言も話さずにそれをやっていたということだ。威嚇のための唸り声や、恐怖に打ち勝つための叫び声など微塵も漏らしはしない。ただ黙って、目の前の獲物を切り刻むだけだった。その時彼が狂気に囚われた表情を浮かべているならまだいい。だが彼は無表情だった。暗く沈んだ瞳は、今にも光を失ってしまうかのように、ぼんやりと正面の敵を眺めているのだ。銀時は、鬼よりも恐ろしい童だった。
 どうしてこうなってしまったのかと、銀時が思わないはずはなかった。彼にだって父や母はいた。美しい白い髪を風になびかせながら、彼らは山奥で幸せに暮らしていた。人と違うのは、ただ髪が白いということだけだった。羨ましかったのか、あるいは恐ろしかったのか、確固とした理由は分からない。だがそれだけで、彼らの村、そして彼らの髪は、赤く染められてしまったのだ。



   おとーさん、おかーさん。まだ夕方なのに寝てるの?」
 ぴくりとも動かない両親と、濁った赤色が飛び散った部屋とを交互に見ながら、銀時は呟いた。脇には、兎が数匹置かれている。
 今日は銀時が夕食の当番だった。小さいくせに負けず嫌いな銀時は、当番のときはいつも山奥に狩りに行くのだ。そんな銀時を、両親は褒めてくれた。銀時はそれが嬉しかったから、今日もいつも通りに出かけていったのだ。きっとまた両親は笑顔で迎えてくれると、そのことばかり考えながら。
「僕が、兎しか獲れないから、呆れちゃった?」
「それとも帰ってくるのが遅くて、つまんなくて寝ちゃったのかな」
「あ、お腹がすいちゃったのか。待ってて、今晩飯作ってくるから」
 矢継ぎ早にそう言うと、銀時は兎の耳を乱暴に掴んだ。お腹がすいたんなら、仕方ないよね。そう自分に言い聞かせるように呟くと、彼は家を飛び出した。
 幼い銀時ではあったが、何が起こったのかは分かっていた。ふもとの人間が自分たちを嫌っているのも知っていた。理由は、よく分からなかった。でもきっと、この髪が原因なんだろうな、とは思っていた。人と話すとき、彼らは自分たちとは目を合わせず、それより少し上を見ているから。
 村のはずれにある井戸まで来たところで、銀時はやっと足を止めた。肩で荒く息をしながら、兎を手から離す。空はいつの間にか漆黒に染まっていて、遠くにかがり火がいくつか揺らめいているのがよく見えた。
「・・・・・・」
 彼らはきっと、ほっとしているんだろう。小さく聞こえる笑い声に、銀時はそんな風に思った。白い髪の一族はいなくなったし、これからは安心して生きていける。それを喜んでいるのだと。
「・・・ぼくは」
 じゃあ僕は、どうやって生きていけばいいのかな。
 井戸に映った自分にそう問いかけるのと同時に、銀時は地を蹴っていた   




「・・・ねえ」
 銀時が数歩後ろから声をかけると、髪の長い男は困ったように笑って振り向いた。
「私は、吉田松陽といいます。寺子屋で先生をしてるんですよ。君の名前は?」
「さかたぎんとき」
「それじゃあ銀時。どうかしましたか?」
 男は銀時の前でしゃがむと、彼と目線を合わせた。銀時はすぐに目をそらす。
「俺のこと、怖くないの」
「怖い?何故?」
「・・・髪、白いから」
「おや、そんなことですか」
 男は本当におかしそうに笑った。その拍子に、長い髪がさらりと揺れる。彼も、みんなと同じ髪の色では無かった。銀時とも少し違った。
「白兎みたいで可愛いとは思いますが、怖いとは思いませんね」
 この言葉に、銀時は驚いたように顔を戻した。男は笑顔を浮かべたままである。
 銀時は、目の前の男に警戒しながら、先程受け取った刀に手をかけた。
「ん、何か気に障ることでも言ったかな」
「お前、俺のこと食うつもりなんだ」
「え?」
「だって、兎って食糧だろ」
「・・・ああ、なるほど」
 またもやおかしそうに男は笑った。銀時はどうして笑われているのか分からなかった。その状態がもどかしくて、銀時は鯉口を切った。
 それを見ると、男は銀時の手の上から刀に手をかけた。
「こらこら、すぐに刀を抜こうとしない。さっき言ったことをもう忘れたんですか」
 パチン、と刀が鞘に収まる音を聞くと、男は微笑んだ。
「今は、君の魂を護る必要なんざないでしょう」
 そしてゆっくりと立ち上がると、男はまた、銀時に背を向けて歩き出した。
 どうしたらいいのか分からず、銀時が少し立ち止まっていると、男はもう一度振り向いた。
「怖がらなくていい。私は君の敵ではないんだから」