もうじきに、日が暮れるか。
 冷えた足を引きずるように進みながら、銀時はちらりと空を仰いだ。先程まで頭上を赤く染めていた夕陽は姿を消して、今では妖しく光る月がこの空を支配している。目の端にそれを捉えた途端、銀時は右手が鈍く痛むのを認めた。
 もしあの月が、歪んだ姿を晒していたなら、何か変わったんだろうか。
 俺は今も、あの場所にいられたんだろうか。
 今更だと思いながらも、銀時はこの下らない仮定を頭から消し去ることが出来なかった。
「・・・なァ満月さんよォ、もちっとダイエットしたほうがいいんじゃないの」
 得意のおどけ口調で声を掛けるが、勿論反応があるはずもない。銀時は苦笑して、いよいよ暗くなってきた眼前を見据えた。
 目的地まではまだ遠い。こんなところで感傷に浸っている場合じゃないんだ。
 銀時は一度目を伏せると、軽い鞄を背負い直した。
 再び紅い瞳を前方へ向けると、銀時はそれきり、視線を彷徨わせることは無かった。

















第壱話 寂寞






   こりゃ、驚きだな」
 数日間歩き続けてまで、銀時が足を運んだ先。その想い出の場所は、あの頃と変わらずひっそりと、けれども堂々と存在していた。相反する言葉なのは理解しているが、そうとしか表現出来ないのだから仕方が無い。所有者を失った瓦屋根の住居は、しんと静まり返っているにもかかわらず、尻込みしそうになるほどの存在感を放っていたのだから。
    そこは、松下村塾。銀時の、そして彼の同胞たちの、大事な学び舎である。

 きょろきょろと懐かしげに辺りを見回しながら、銀時はゆっくりと歩を進めた。
 風に揺られた山茶花の葉が、歓迎の唄を奏でるようにさらさらと音を立てる。つられるように周りの木々も、ざわざわと久々の来客を嬉しそうに迎え入れた。

 からからと静かに引き戸を開けると、伽藍とした薄暗い廊下が目に飛び込んできた。あのつきあたりを左に曲がれば、そこはかつての学び舎である。
 銀時は草鞋を脱ぎながら、小さく呟いた。
「教室、入れっかな」
 かの吉田松陽の持ち家である。玄関からここまでは荒らされた様子など無かったが、もしかしたら教室は大惨事、なんてことも考えられる。あの場所が土足で蹴散らされている状況など想像したくは無い。しかし、野蛮な天人なら平気でやってのけてしまうだろう。
 どうか、あの頃のままで。祈るような気持ちで、銀時は襖に手を掛けた。