空の色が一層濃くなって、吹き抜ける風は心地好い冷たさを纏いだした。梅雨が明けて、俄かに日が長くなったものだ。店先の商品を整えていると、背後を子供たちが楽しそうに走り抜けた。・・・子供は風の子、とはよく言ったものね。そんなことをぼんやりと考えていると、奥から店長の声が聞こえてきた。お疲れ様、あがっていいよ、と。

夕暮れ時の商店街は、嫌いじゃない。母親が心配する、と帰路を急ぐ子供や、奥さんに買い物を頼まれた会社帰りの旦那さんがそこかしこで足音をたてている。皆それぞれに、嬉しそうな顔を浮かべていたり、悲しそうだったり、不満そうだったり。そんな表情の中にも、自分の大切な人が待っている家に帰りたいという気持ちが色濃く表れているものだ。そういうのって、なんか、いい。
・・・ただひとつだけ、私がどうしても好きになれないものがある。それは『音』だ。絶え間なく響いている、あの音。今日は、やけに多くないかと周りを見渡すと、やはり団体が道いっぱいに広がって歩いていた。だらしなく歩くが為に、下駄の音が必要以上に響いている。不愉快だ、と私は眉根を寄せた。あの下駄の音、それこそが私が嫌悪しているものなのである。
「・・・いけない、急いで帰らないと」
今日が金曜日だということを思い出して、私は足を速めた。飲み会やら何やらで、ぼちぼち人が増えてくるだろう。人混みなどめっぽう御免だ。
・・・それに。私は連なるビルに群をなしている看板を睨んだ。あのネオンが全て点っている時間帯が、私はこの世で一番嫌いだから。



   お帰り!遅かったのー」
玄関を開けると、消して出たはずの明かりは煌々としていて、目の前に立つ男の背中を照らしていた。呆れたようにため息をつくと、その長身は困ったように肩をすくめた。
「どうやって入ったのよ、辰馬」
「そりゃ企業秘密じゃ」
「不法侵入で通報するわよ」
たとえ恋人とはいえ、いつ帰ってくるか分からない男に合い鍵を渡すほど、私は健気な彼女ではない。恐らくは管理人さんに掛け合ったのだろう。どうやったら、そんなに簡単に初対面の人間の信用を得られるのだろうか・・・。勿論、謀ってやっているわけではないのだろうが。
「ところで、何週間ぶりになるのかしら」
「3週間ってとこぜよ」
「そう」
「すまんのー。なかなか休みが取れんやったきに、寂しい思いさせて」
「あら、そうでもないわよ。私も仕事忙しかったもの」
「でもアレじゃ、夜の営みもご無沙汰じゃき・・・」
「どうしてあなたは口を開くと・・・」

廊下に立ちふさがる辰馬の脇をすり抜けて、居間へ向かう。辰馬が持参したのだろう、怪しげな箱が至る所に積み上げられている。いつもより数が多いところをみると、罪滅ぼしのつもりなのだろうか?迷惑な話だ。彼の土産は大抵役に立たないのだから。
「やけに奮発したのね」
「全部に見せてやりたいと思ってのー。買いすぎたぜよ」
「だったら連れて行った方が早いかもしれないわね」
「あー・・・アッハッハ、そうじゃな」
辰馬は、こういう話になると決まって眉を下げる。公私を分けたいという気持ちは痛いほど分かるが、ここまであからさまに困った顔をされると、やましいことでもあるのではないか、と勘ぐってしまう。勿論、信用はしている。ただ、小さな嫉妬が私の思考を狂わせているだけなのだ。


「それにしても、金曜の夜に家にいるなんて珍しいわね。ご飯は?」
「あー・・・実は、これから接待なんじゃ」
「え、あ・・・そうなの?」
泊まっていくだろうと高をくくって質問したのがまずかった。動揺した私の心臓は変に波打ち、自信があったポーカーフェイスも、奥に引っ込んでしまった。
「お土産届けに寄ってくれたのね。別に宅急便で構わないのに」
に会いたかったんじゃ」
「私がいるとは限らないじゃない」
「時間が許す限りは待つつもりじゃった」
「連絡もしてこなかったくせに・・・・・・迷惑なのよ、そういうの」
「・・・・・・・・・すまん」

悲しそうに目を伏せた辰馬の姿は、私が決死の思いで封印した言葉たちを再び脳裏に甦らせた。辰馬に会えなくて寂しかったの。来てくれて嬉しかった。

   今夜は、ずっと傍にいて。

我慢せずに言えたら、どんなにいいかと思う。でも、辰馬の仕事に差し障りがあるようなことはしたくない。もはや、なりふり構わず気持ちを押しつけられるような歳ではないのだ。

「・・・とにかく、早く行った方がいいと思うわ」
「・・・・・・
「先方を待たせたりしたら大変だし」

「私も今から忙しいし、それに、」
!」

珍しく声を荒げた辰馬の表情は驚くほど哀しげで、さすがに言い過ぎてしまったかと後悔した。焦って弁解の言葉を探すが、先程まで饒舌だったのが嘘のように、私の口は動かなかった。
「泣きそうな顔で、そういうこと言うんじゃないぜよ」
何よ、泣きそうなのはそっちじゃない。そう思っているにも関わらず、目頭が熱くなってくるんだからたまったもんじゃない。徐々にぼやけだした私の視界は、辰馬に引き寄せられたことによって、完全にシャットアウトされた。

「寂しい思いさせて、すまんかった」
「なかなか帰ってこれんで、すまんかった」
「今夜、一緒にいられなくて・・・すまん」

次々と紡ぎ出される辰馬の言葉に嬉しさを覚えつつも、心はそれを頑なに拒んだ。謝らなければいけないのは辰馬じゃない。私がもっと物わかりのいい女になって、笑顔で辰馬を送り出してあげなきゃならないの。それで、それで。
「・・・・・・っ」
「・・・・・・
返事の代わりに零れ落ちたのは、踏ん張りのきかない涙だった。小刻みな肩の震えに気づいたのか、辰馬の腕の力が強まる。このまま夜が明かせたらどんなにいいか・・・。そんなことが叶うはずもない、叶うはずもないから、私は行かないでと呟いた。

辰馬の腕は、弱まらなかった。




下駄の音も、町中のネオンだって、消えてしまえばいいのに
そしたら私は、目の前のあなたを愛するだけで、きっと満足できる
独りの間に思い悩んで、嫌な女になることだって無くなるわ





   ポケットの携帯電話が震えるのを合図に、彼は腕を解いた。
「・・・じゃあ、そろそろ行くぜよ」
「・・・うん」
私の返事を聞くなり、辰馬は颯爽と歩き出した。別れ際はいつも、あっさりとしているのだ、この男は。鍵はちゃんと閉めるんじゃぞ、などといつもの調子で声をとばしてくる。子供じゃないんだから、と私も叫んだ。いつもの調子というわけにはいかなかった。
ー」
「何よ」

「ごめん、な」

「・・・!・・・・・・だ、だか」
私の返事を待つこともせず、辰馬は出て行った。表情は見えなかったが、きっともう、仕事の顔をしているんだろう。私のことなんか、すっかり忘れているに違いない。
「・・・仕事は出来ても、彼女の扱いはまるで駄目ね」


パタンとドアが閉まって、私はまた独りになった。あの人と次会えるのはいつになるんだろう?見当もつかないけれど、きっと2、3日も経てば寂しいとも思わなくなる。大丈夫、すぐに慣れるわ。

「またいつもの日常に戻っただけよ」
意志とは裏腹に震える声に苦笑しながら、私は鍵を締めに玄関へと向かった。














お願い、辰馬
私を置いていくなら、謝ったりしないで

(突き放してくれなきゃ、私はあなたに縋ってしまう)















ぎやまん・びゐどろさんとの相互記念に捧げさせて頂きました!
り、リク頂いたのに丸無視ですいませ・・・・・・!ていうか何で切ない感じなの?アレ?
あえて苦手なシリアスに挑戦するあたり空気が読めてないですね。ちょ、埋まってきます!
琳都さん、相互して下さってありがとうございましたー!さつきからでした。

2008/07/17→掲載 2008/08/25