夜の帳の下りた頃、晋助さまは窓の外に煌々と輝く満月を見て、目を閉じられました。
 それは、私たち鬼兵隊の『おひらき』の合図です。それなのに私はまた、どきりとしてしまいました。

 いつの間にか戦闘員でなく、晋助さまの付き人として働くようになった私は、いつも間近でこの仕草を拝見しています。光栄なことだとは分かっているんですが、そのときの晋助さまがあまりに綺麗だから、どぎまぎしてしまうのです。家来の立場でこんな感情を持ってはいけないと、何度も何度も自分に言い聞かせました。それでもどうしても、この感情だけは消えてくれない。
 困ったことに私は、晋助さまを隊長としてではなく、お慕いしているのです。

「さてさて、宴もたけなわというところですね」
「晋助さま、お疲れ様でしたっス!」

 武市さん、また子さんが順に立ち上がって、部下の方々もそれに続きました。
 先ほどまであんなに酔ってらしたのに、すぐにきりりとなさるなんて、やはり戦場に出られている方は違うなあと感心してしまいました。私もああなれれば、戦場に出して頂けるのでしょうか。
 そんなことを考えていると、隣で晋助さまが瞼を上げられました。どうなさったのかと視線を辿ってみると、まだ宴会場に残ってらっしゃる方が数名。あの方達は確か、最近入隊なさった方々です。きっと、合図をご存じなかったのでしょう。

「晋助さま、すみません。もうお開きだと伝えて参りますね」
「・・・随分と空気の読めねェ奴が紛れ込んじまったみたいだなァ」
「きっと、緊張してらしたんですよ。それで、お酒が進んでしまって」

 私がそう答えると、晋助さまは呆れたように笑われました。
 月明かりに照らされた晋助さまは相変わらず綺麗で、私はついぼうっと、そのお姿に見とれてしまいました。

「どうした?早く行って来い、
「・・・あ、はい!すみません只今」

 慌てて立ち上がると、私は楽しそうに談笑している隊士さんのもとに向かいました。



「すみません、そろそろお開きになりますので・・・」

 座敷の隅で騒ぎ続ける隊士さんに、私は声をかけました。顔を見るとびっくりするほど赤くて、目も据わっています。初陣で興奮したというのはよく分かるのですが、この無防備さには非戦闘員である私でもため息をついてしまいました。そもそもこのままでは、晋助さまのご命令が第一の鬼兵隊で生きていけるはずもありません。
 もう一度声をかけてみようと口を開いたところで、隊士さんの一人がこちらを向きました。

「なんだァ姉ちゃん、辛気臭ェ顔してんじゃねーか!そういうときは呑め呑め!」
「あの、ですからもうお開きに・・・」
「あァ?いいじゃねェかちょっとくらい。華々しく初陣を飾ったんだからよォ!」

 その言葉に、周りの隊士さんもそうだそうだと盛り上がってしまいました。笑い声が響く中で、私は頭を抱えたくなりました。このままでは、晋助さまのご気分を害してしまいます。それどころか、使えない部下はいらないと解雇されてしまうかもしれません。
 途方にくれた私は、ちらりと晋助さまのお席を見ました。でもそこには座布団だけが虚しく残されているばかりです。
    見捨てられてしまった?
 私の胸の奥が、ずきんと痛みました。

「おら、一杯ぐぐっと。なァ?」

 呆然としていた私の手に、お酒がなみなみ注がれたお猪口がのせられました。突っ返す気力もなく、私はゆっくりとそれを口に近づけました。
 しかしそれは、唇に当たる寸前に姿を消してしまいました。

「・・・極上の酒を用意したつもりだったが、コイツはまずくてならねェな」
「・・・え?」

 振り向くと、広間を出て行ったはずの晋助さまが、お猪口を手に顔をしかめてらっしゃいます。私は驚いてしまって、それ以上言葉を発することが出来ませんでした。
 酔いの回った隊士さんは、目を細めて晋助さまを見ました。

「誰だか知らねェが、俺の注いだ酒に文句を言われちゃ黙ってらんねェぜ」
「誰だか知らない、ねェ・・・ククッ」

 晋助さまはおかしそうにお笑いになると、お猪口を後ろに放られました。そしてにわかに腰を落とすと、正座をした私を包み込むように、腕をお回しになったのです。

「そりゃお互い様だから別に構わねェが、場の空気が読めないようじゃ、この先間違いなく路頭に迷っちまうぜェ?」
「あァ!?何だと!」
「テメェらはもう十分楽しんだだろ?これからは俺が楽しむ時間だ」

 そうおっしゃるなり、晋助さまは私の首筋にちゅ、と口付けをなさいました。しかも一度きりでなく、場所を変えて何度も何度も。がっちりと抱きかかえられている私は、身じろぎすら叶いません。赤く染まった頬を隊士さんに見られたくなくて、私は俯きました。

「お、おい、何を・・・?」
「男なのにそんなことも分からねェのか?・・・あァ、それとも」
「・・・?」
「見学でもしてこうってクチかァ?俺はそれでも構わねェがな」
「・・・し、晋助さまっ!」

 するすると下りてきた手に、私は思わず声を上げてしまいました。
 その声に、隊士さん方はびくりと肩を震わせました。

「・・・た、高杉様でしたか!」
「そうとは知らずご無礼を・・・申し訳ございません!」
「ど、どうかご慈悲を・・・!」
「んなこた今はどうでもいいんだよ」

 空気がぴんと張り詰めたように感じられました。
 晋助さまが戦場に出られたときのような、冷たく、気を抜いたら切り裂かれそうな空気が、この広間を支配しています。
 とても、とてつもなく恐ろしいのに、どこか恍惚としている私がそこにはいました。

「とっとと失せろ、雑魚が」

    まるでその言葉を待ち望んでいたかのように、隊士さん方は広間から飛び出していきました。
 そしてそれとほぼ同時に、私の身体も解放されたのです。

「し、晋助さま、どうして・・・」
「そりゃ、何に対しての『どうして』だ?」

 先ほど見せて下さったのと同じ呆れ顔で、晋助さまはおっしゃいました。尋ねた私自身も、どれに対して言ったのか、はっきりとは分かりません。どうしていらっしゃるのですか、どうして助けて下さったのですか、どうして、あんなことをなさったのですか・・・。お尋ねしたいことはたくさんあっても、どれも口をついて出てきてはくれません。
 晋助さまは、薄く笑うと、私の頭を軽く二度叩かれました。

「驚かせて悪かったなァ。お前どうせ初めてだろう?」
「・・・へっ!?」

 どうしてお分かりになったのだろう。私は真っ赤に染まった顔を隠そうと、両手を頬にあてました。そういう雰囲気は、案外本人が自覚していないところで出てしまうものなのでしょうか。

「も、申し訳ございません!」
「謝ることじゃねェだろ。まァ安心しろ、取って食やしねェ」

 晋助さまはそうおっしゃると、踵を返してしまいました。
 ああ、やはり、この方は。私は切なく疼く胸に手を当てて、晋助さまの言葉を反芻しました。どんなに冷たく振舞われても、奥底にある優しさは隠しきれていない。私は、その欠片だけで、こんなにも幸せになれるんです、晋助さま。
 目の前で紫の着流しが揺れるのをぼんやりと見ながら、私は思わず口を開きました。

「・・・晋助さまにでしたら、取って食われても構いません」

 微かに呟いたのですが、晋助さまにはしっかりと聞こえていたようです。
 振り向いた晋助さまは、きっと私がものすごい形相だったのでしょう、ふっと微笑まれました。

「取って食われてェ女は、もっと色っぽい表情をするもんだぜェ?

 耳元でそう囁かれて、背筋がぞくりと波打ちました。思わず晋助さまを見上げると、晋助さまは先ほどよりも柔らかい表情で、私を抱き寄せて下さいました。













見学してくか?と言わせたいがために書いたお話。
敬語って難しいな・・・くどい感じですみません。
2010/10/31