だがしかし、今の私は走っている。ハイヒールとは思えない素晴らしい走りを見せているのだ。目印は再三確認しておいた。あとはそこを目指してひたすら走るだけだ。 「・・・こんなに・・・・・・走ったの・・・いつぶりよ全く・・・・・・・・・」 かぶき町の人間がみな話し上手だということくらい、ちょっと頭を回せば分かることだった。それに気づいていれば、今こんなに満腹の状態で商店街を走り抜けることもなかったのだ。取材が胃痛のせいで失敗するようなことだけはあってはならないと、私はとりあえずお腹をさすりながら道を急いだ。 * 「・・・・・・つ、つい、た・・・・・・・・・」 時計は18時50分をさしている。ほっと胸をなで下ろすと、看板を今一度確認した。かまっ娘倶楽部。こんな名前で客は入っているのだろうか?まるでオカマバーのようじゃないか。変わったママだと思いながらドアに手をかける。クラブなら、ノックはいらないはずだ。 「・・・・・・ごめんくださ」 「いらっしゃいませえー」 語尾に間違いなくハートがついた決まり文句を飛ばしながら、大柄なホステスがやってきた。きちんとした着物の着こなしと、髭の剃り跡に貫禄を感じる。この人はきっと・・・この店のママだろう。・・・・・・ん、髭? 「あら、女の子じゃなーい!お一人様?」 よく聞いてみると声も女性のそれよりかなり低い。頬に当てた手も骨ばっていて、私のそれよりかなり大きい。 「あ、いえ、私大江戸出版の者なんですが・・・」 「え?・・・・・・・・・・・・なんだ、取材の奴か」 私の出した名刺を受け取りもせずに、彼女は舌打ちをした。突然声が低くなったところからすると、この店はやっぱり・・・? 「ったく、何で取材されんのがパー子なんだよ・・・・・・今呼んでくるから待ってな」 「は、はい」 わざわざ呼んできてくれるとは親切なことだ。それにしても、何故ママさんはあんなに腹を立てた様子だったのだろうか・・・。 勧められた椅子に腰掛けて店内を見回してみると、予想通り髭の剃り跡を残したホステスさん方が、黄色くなりきれない声を飛ばしていた。間違いない、やはりこの店は看板通りだったのだ。書類を再度確認したが、そんな事は一言も書かれていなかった。・・・普通ホステスとあったら女の方を思い浮かべるだろう。しっかりしてくれよ編集長・・・さっきの事といい。 書類に影が映ったので顔を上げると、目の前にホステスが立っていた。 ・・・いや、取り囲まれた、と言った方が表現が正しかったかもしれない。 迫り来る言葉の波に、私は少々恐怖すら覚えていた。濃い化粧の大柄な人間が、睨みつけるように私を見下ろしているのだ。そこらのB級ホラーよりよっぽど怖い。血の気の引く思いで縮こまっていると、円の外から声が聞こえた。 「ちょーっとアンタたちー。お姉さん怖がってるじゃない」 「あらやっと来たのねパー子」 「アンタが来るまで、この子の相手してやってたんじゃなーい」 「え、そうなの?てっきりリンチでもしてるのかと」 「してないわよ!」 壁化している人を割って、一人のホステスが現れた。身長は高めで体格もまあまあいいが、顔立ちが綺麗なせいかそこまで気にならない。私の食い入るような視線に気づいたのか、パー子と呼ばれる 「どーもー。パー子でぇーす」 「あ、はじめまして。大江戸・・・」 「・・・だからそれじゃダメだと言っておるだろうパー子!」 「え?」 割り込んできた怒声に振り向くと、サラサラの長髪が目に入った。 「どこがダメなのよ、ヅラ」 「ヅラじゃない、ヅラ子よ!それは営業スマイルじゃないってこの前注意したばかりではないか!」 ・・・あの笑いは営業スマイルのつもりだったのか。どうみてもほくそ笑んだようにしか見えなかった。正解を教えてくれた、たまに男口調になるホステスさんを見ると、意外にもかなりの美人だった。パー子さんと並ぶと絵になってしまうから恐ろしい。此処はオカマバーなのに。 「あのー・・・」 「・・・おお、すまない。つい白熱してしまった」 ここで咳払いを一つ。とびきりの笑顔で続ける。 「ご指名ありがとうございまーす、ヅラ子でぇーす」 「・・・・・・は?」 「お姉さんお目が高いわァー。お安くするわよキャハハハハァー!」 「・・・ち、ちが」 「客ビビらしてどーすんだ」 バシッとパー子のツッコミが入る。いいコンビになりそうだ、この二人。そんなことを思いながら、客じゃないです。と一言呟いた。マジでか!と上げられた声もシンクロしていた。 * 「 「いやー・・・編集長の考えなんで・・・どうせ思いつきでしょうし」 「あ、もしかしてうちのお客さん?アレか、佐藤さん!もしくは高橋さん!」 「どっちもかすりもしないですね、鈴木なんで」 「あー、ニアミス」 「どこがですか!」 やっと取材相手に遭遇できて一安心と思っていたら、外に連れ出されるんだから驚きだ。理由は、取材をする場所がないから。それならばオファーの時点で断れって話だ!(実際はママさんの機嫌を損ねたからだと思うが。) ということで、私たちは今、さっき私が全力疾走した商店街を歩いている。買い出しも兼ねているので、一向に前に進まないが。・・・いやいや、目的はそれじゃないんだけども。 「あのー、こんな町中なんですが取材始めてしまっても構いませんか?」 「全然オッケー何でも聞いて。あ、買い物続けてて大丈夫?」 「どうぞどうぞ」 歩きながらなので、レコーダーの音声がよくないかもしれない。念には念をということで、メモも取ろうとバインダーを取り出した。一緒に名刺も手に取る。 「すみません申し遅れました、大江戸出版のです」 「あらあらどうもー。・・・あー私置いて来ちゃったわ」 「いえ、お気になさらず。それではまず・・・どうしてこの職種に?」 「あー、初めは拉致されたのよ」 「・・・はい?」 「いや、正確に言うと売られた?」 爆弾発言を連発しているというのに、当の本人は飄々としている。返す言葉が見つからなくて、私は目を泳がせた。まさかそんな辛い過去があるだなんて思わないじゃないか・・・。 「・・・何だか、すみません。取材とはいえそんなことを話させてしまって・・・」 「ん?ああ、そんなに深刻な話じゃないんだけどね」 「え?」 「家賃滞納してたら大家がキレて、この店で働けって」 全く、やんなっちゃうわー。と、心底迷惑そうな顔でパー子さんは眉根を寄せた。 「え、じゃあ拉致ってのは・・・」 「この店のママに・・・えーと、あの大柄の・・・見るからにオッサンな人に強制連行されたってこと」 「ああ、あの方に・・・」 それはさぞ恐ろしかっただろう・・・。違う意味で、私はこの人に同情してしまった。 でも、まあまあ体格のいい人なんだから、本気で抵抗すれば逃げられなくもなさそうなのにな。それをしないってのも人柄なのか?そんなことを考えていたら、彼がつけているボサボサのツインテールが視界に入った。もっとマシなのはなかったのか・・・。私も眉根を寄せざるを得なかった。 「では次に、仕事をしていて大変だと思うのはどんなときですか?」 「そりゃー、いつでも?」 「まあそうですよね・・・その中でも特にと言われれば?」 「んー・・・やっぱりセクハラねー」 「やっぱり、ありますか」 「蔓延ってるに決まってるでしょ!あっちが本気じゃないにしても、ぞわってするのよぞわって!」 その嫌な感じを思い出してしまったのか、パー子さんの手の辺りでみしっという音が鳴った。慌てて彼が持っていたコップを取り上げる。ヒビは・・・入っていない。セーフだ。 「・・・ったく、男のケツ触って何が楽しいんだっつーの」 言いながら、また別のコップに手をかける。・・・面倒な人だ。ため息をつくと、私は次行きましょうとパー子さんの腕を引っ張った。 「えーもう行くのォー?もっとゆっくりしてこーよーちゃん!」 ・・・何がちゃんだ、馴れ馴れしいにも程がある。私はもう一つため息を落とすと、嫌がるパー子さんを引きずって、その店を後にした。 「 「んー、そうねー・・・うーん」 『安いけど安っぽく見えない布巾』(そうメモに書いてあったのだ)を物色しながら、パー子さんは困ったような声を出した。 「そんなに悩むほど無いですか」 「そりゃーねえ。ブサイクなオヤジの相手して楽しいわけないっつーか」 「若いイケメンならいいんですか?」 「・・・・・・・・・ちゃん、アンタ面白いわね・・・」 ちっとも面白くなさそうな顔でパー子さんが言う。私は何がいけなかったのか分からなくて、首を傾げた。 「顔とか歳とかじゃなくて、男ってとこが問題なわけ。分かる?」 「・・・え、そうなんですか?」 「・・・アンタもしかして、私が本気でゲイだと思ってた?」 「ええ・・・働いてらっしゃる店が店なので・・・」 「私さっき理由言ったよね?拉致されたって言ったよね?」 「・・・あ!そうでした!」 メモを確認して声を上げると、パー子さんはホント面白いなーと言いながら笑った。今度は皮肉ではなさそうだ。 「ただバイトしてるってだけで、実際はちゃんと女の子が好きだからねー俺は」 「・・・・・・あ、俺」 「あらやだ、今私俺って言った?もーまたヅラに怒られちゃうじゃない」 内緒よ!と唇に指を当てるパー子さんが驚くほど色っぽかったので、私は一瞬この人が男性だということを忘れてしまった。こんな人が普段は男で、「俺」なんて言って生活してるなんて信じられない。・・・全くもって、世の中は不公平なものである。私は彼にばれないように、ボールペンをぎゅっと握った。 「えーと、でもやっぱり記事なので、何か答えて頂かないと困るんですが・・・」 「えーそうなの?それじゃあ・・・客の金で酒が飲めるところかしら」 「・・・・・・なるほど」 ・・・書き方次第で、どうにでもなるんだ。編集の腕の・・・・・・っていうのは今朝考えた気がするので、割愛しておこう。イラっとしたら負けだぞ自分! ふー、と息を長く吐く。次の質問に移らないと。・・・しかし書類に目を落とすと、意外にも先程のが最後の質問だった。思ったよりも彼にペースを崩されていたようだ(こんな驚きは今まで無かった)。 「すみません、さっきので質問終了でした。ご協力ありがとうございました」 「あ、そうだったの?せっかく楽しくなってきたとこだったのにー」 嘘つけ!と思ったが、社交辞令として受け取っておくことにした。書類を鞄にしまって時計を見る。いい時間だ、そろそろお暇しよう。彼を見ると、アクセサリーのコーナーを熱心に物色している。商売柄、ああいうのも必要なのか、と複雑な気持ちになっていると、彼はお会計をしてくると笑顔を見せた。 「 「いえ。・・・あれ、どなたかへのプレゼントだったんですか?」 彼の手元を見ると、大層可愛らしい小さな紙袋が握られていた。 「そうよーだからラッピングで時間食っちゃって・・・ってもしかしてちゃん」 「はい?」 「私が自分用に買ったと思ったの?」 「ええ・・・仕事用かと・・・」 「そんな仕事熱心じゃないよーパー子さんは」 彼は今日何度目になるか分からない、げんなりした表情を浮かべた。 見た感じ、この仕事が心から嫌いというわけではなさそうなのだが、熱心だとは思われたくないらしい。私からすると、任された以上はきっちりやる、という姿勢が結構好印象なのだが・・・(これまでの2人のやる気が無さすぎたせいかもしれない)。でもまあやはり、男としてのプライドとか、そういうのがあるのかもしれない。よく分からないけど。 まあいいや、と気を取り直すように呟くと、パー子さんは左手のビニール袋を足元に置いて、右手を私の前に差し出した。 「んじゃ、はいコレ」 「はい?」 「だから、どうぞ」 目の前で揺れる紙袋に首を傾げていると、彼も不思議そうな顔をした。そこで合点が行く。 「・・・あ、荷物持ちですか?だったらそっちのビニール袋持ちますよ、重そうですし」 「・・・・・・本気?」 「・・・・・・?私こう見えて力ありますよ?」 「いやいやいやそうじゃなくて」 「え?」 「え?って・・・」 パー子さんは心底驚いたように目を丸くし、続いてため息をついた。 「ちゃんて、本物の天然なのね・・・」 「天然!?初めて言われましたよ!」 「・・・・・・・・・まあ、いいわ。とにかく、コレ」 彼は私の手を取ると、紙袋を握らせた。手が触れたことに思いの外ドキッとしてしまったことに驚いて、反射的に私は手を引いてしまった。勿論、紙袋は持ったままだ。 「あらヤダ、そんなに欲しかったの?」 「ち、違います!びっくりして・・・」 「どっちにしろあげるつもりだったからいいんだけどねえ」 「へ?」 「それ、ちゃんへのプレゼントよ」 「・・・・・・え!?」 本気か、とパー子さんの顔を窺うが、どうやら間違いなさそうだ。何度か視線を紙袋と彼の間で行き来させていると、彼は笑った。 「どうしたのよ挙動不審に」 「だ、だって、いただく理由がありません」 「経費じゃ落としてないわよ?」 「それなら尚更いただけません!」 私は先程聞いた、彼があの店で働いている理由を思い浮かべた。他人にプレゼントなんてしてる場合じゃないじゃないか。返そうと右手を出すと、何故か押し戻されてしまった。 「あの、パー子さ・・・」 「いいじゃない、私があげたいんだから」 「で、でも」 「それに、ちゃんに似合うと思って買ったんだもの」 ・・・口を尖らせながらそんなことを言うもんだから、不覚にも可愛いなんて思ってしまった。いやいやこの人は男性なんだって。そう言い聞かせていると、今度は頬が熱くなってきてしまった。お、男の人にプレゼント貰っちゃったよ。・・・こういうとき、経験の少ない女は不利だなあと思う。切実に。 「ちょっとちゃん、お顔が真っ赤よー」 「べ、別にそんなことありません!」 「あらそーう?」 「そうです!・・・な、何にやにやしてるんですか!」 「べっつにー?」 ・・・駄目だ、口で適う気がしない。諦めて口をつぐむと、からかいすぎたわね、とパー子さんが頭を撫でてくれた。大きな手だな、なんて思いながらされるがままになっていると、彼が口を開いた。 「・・・まあ、アレよ」 「はい?」 「会いたくなったら指名してよ」 「え?」 彼は手を離すと、よっこらしょ、なんて言いながら足元のビニール袋を持ち上げた。そしてにやりと笑う。 「お店で待ってるから」 そして私の返事も待たずに、踵を返して歩いていってしまった。徐々に遠くなっていく背中にありがとうございましたと叫ぶと、パー子さんは空いた右手で返事をしてくれた。 「 次の取材場所に早めに着いてしまった私は、ぼんやりと彼のことを考えていた。場違いなのを承知で頼んだ烏龍茶に手を伸ばすと、視界の端に紙袋が映った。・・・せっかく貰ったんだし、開けてみるか。 「・・・・・・・・・うわぁ」 自分には勿体無いような可愛らしい包装の中には、これまた可愛らしいかんざしが入っていた。薄暗いこの場所ではよく見えないので、近くの明かりにかざしてみる。きらきら光るそれはどことなく彼を連想させて、何とも言えない気持ちになった。たった数時間、しかも仕事で会っただけなのに、どうしてこんなに気になるのか。素顔も見ていないのに。 「・・・そういえば、本名知らない」 聞いておけばよかった。まあ聞いたところで、指名してくれたら教えてあげる、とかそんなオチだろうとは思うけれど。私は彼のにやっとした笑みを思い出した。・・・今度機会があったら、あの店に行ってみるのもいいかもしれない。 「・・・って、仕事相手に何でちょっと本気になってるのよ」 残像を消すように頭を振って、残りの烏龍茶を飲み干す。腕時計を確認すると、待ち合わせの時間まであと少しだった。 「今は仕事中。頭切り替えないと」 彼のことがやけに気になるのは、きっと珍しかったからだ。だってホステスは、プレゼントなんて送らないし。 机に置いておいたかんざしを手にとって、もう一度じっくり見る。やっぱり綺麗だな、なんて思いながら、丁寧に袋にしまった。 2008/12/04 戻る |