「・・・全く・・・どうしてバーで取材なんだか・・・・・・」 薄暗い店内じゃ、書類を読むことでさえままならない。何だか馬鹿馬鹿しくなって、私は書類を置いた。ちらりと、足元の紙袋に目をやる。まあ、さっきの取材も変だったけれど。 それにしても、と私は店内を見渡した。どうせバーで取材をするなら、自分の店でやればよかったのに。そこまで考えて、私は苦笑した。ホストだらけの場所で取材だなんて恐ろしすぎる。時計を確認すると、もう約束の時間は過ぎていた。やっぱり、だめだ。と私は思った。時間も守れないような人がたくさんいる場所なんて、耐えられない。 * ・・・いくら何でも水分を取りすぎたか・・・。お腹をさすりながらお手洗いを出る。それもこれも全部、まだ見ぬ取材相手のせいだ。いや、元をたどれば編集長のせいか?ったく、あの飲んだくれめ・・・。胸中で悪態をつきながら席へと戻ると、ウエイターに声をかけられた。場所を移動しろとのことだ。至極真っ当な判断だ。納得して、私は立ちあがった。 「 「・・・・・・は?」 通された部屋は、個室だった。変わらず薄暗い部屋の中央に、黒いソファが陣取っている。そこに体を沈めていた金色の物体が、こちらを向いた。気だるい目元、だらしない口元。今日何度も見かけた気がするのは気のせいだろうか?・・・それよりも。 「・・・もしかして、坂田金時さんですか?」 「そりゃ、この時間にアンタのこと待ってんだから、そうに決まってんじゃん」 「これは失礼致しました。私がお時間を間違えてしまっていたようで」 精一杯の皮肉を込めてそう言ったが、彼には全く通じていないようだった。じーっとこちらを見つめている。その視線に耐えらえなくなった私は、口を開いた。 「・・・何でしょう?」 「いやー。まさかお姉さんが来てくれると思わなかったからさー、しかも綺麗な」 「はあ」 「どうせおっさんが来るだろうと思ったからわざと遅刻したんだ。ごめんねお姉さん」 一応遅刻という単語は知っていたようだ。その上謝ってくれたのだから、意外にいい人なのかもしれない。・・・赤シャツは受け入れられそうにないけれど。私はとりあえず名刺を取り出して、彼に渡した。へえ、ちゃんか、と言われたが、先の取材で免疫が出来ていたので、特に驚きもしなかった。 彼が名刺を眺めている間に、私は部屋を見渡した。彼と向かい合えるような椅子が無いかと目をこらしたが、どこにもそんな物は存在しなかった。こうなったら立ったままでも構わないと、私はバインダーを手に持った(とにかく、早く帰りたかったのだ)。すると、坂田さんが口を開いた。 「ね、座んなよ。見下ろされると緊張しちゃうよ」 「そうしたいのは山々なんですが、椅子が見当たらないもので」 「何言ってんの、ここにあるじゃん。ほら、ここどうぞ」 ・・・予想通り、彼は自分の隣をぽんぽんと叩いた。それが嫌だから立っているのが何故分からないのか。私は精一杯の笑顔を浮かべて、結構ですと答えた。 「え、なんで?男の隣に座ると緊張するとか?」 「違います。正面にいて頂いた方が取材しやすいので」 「じゃあ隣に座って向き合っちゃえばいいじゃん」 「・・・・・・」 珍しく、私は返答に困ってしまった。こんなタイプは周りにいなかったもんな・・・頭を抱えたい気持ちをぐっとこらえて、私は話を進めた。 「すみません、長くかかるとお仕事に支障もおありでしょうから、もう質問に入らせて頂きたいんですが・・・」 こうなったら強行突破しかない。私は勿論ペンも握った状態で、返答を待った。 「うーん」 彼は一瞬顔をしかめた後、満面の笑みを浮かべた。 「やだ。」 「・・・え?」 「隣に座ってくれなきゃ、俺質問に答えないよ、ってこと」 ・・・何ということだ。私は今回ばかりは我慢できずに、額に手を当てる。今なら簡単に熱が出せそうだ。そして帰ってしまおうか。半ば本気で悩んだ後、本来の目的を思い出す。これは取材なんだ、相手の機嫌を取ることくらい基本中の基本じゃないか。 「・・・分かりました。失礼します」 「はーい、どうぞ」 私は坂田さんの隣に腰かけた。座ってみると意外と距離が近くて、何だか落ち着かない。集中しなければ、と私は彼から視線を外した。 「では、早速始めますね。まず、どうしてこの職業に就かれたんですか?」 「なんでだったかなー・・・楽して稼げるから?」 「疑問形で答えられても・・・」 「ああ、そっかごめん。んーでも実際特に理由はないかなー。宿命みたいなもんだったし」 「宿命?」 意外な単語に食いつくと、坂田さんは苦笑して、宙を見つめた。ここの部屋じゃないどこかを見ているような気がして、私は何だか気になってしまった。彼が続ける。 「や、俺ってこんな金髪じゃん?やっぱ普通に生活するとか無理だし、まあいろいろ事情があって金が要りようだし」 「え、金髪って地毛なんですか?」 「まあねー。珍しいでしょ?別にハーフでもなんでもないはずなのに」 「はあ・・・」 純日本人なのに生まれた時から金髪、家庭環境に事情がありそう。これはいい記事になりそうだ、と編集者としての血が騒ぐのが分かる。でもその一方で、何とも言えない思いが渦巻いていた。もしかしたら、この人は好きでホストをやってるんじゃないのかもしれない。 「すみません、私てっきり女の子が好きだからホストをやってらっしゃるのかと・・・」 「ん、女の子は好きだよ?だからこの仕事超楽しい」 ・・・・・・前言撤回。私の眉間に自然と皺が寄った。全く・・・少しでも同情した私が馬鹿だった。思い起こせば今日は、信じては裏切られの繰り返しだったんだった。午前中からの取材の光景がフラッシュバックしてくる。個性的な面々に悩まされはしたが、これだけは胸を張って言える。今の取材が一番きつい。私は、これが本日最後にセッティングされていて本当によかったと心から思った。 「えーと、それでは次の質問に移ります。この仕事をやっていて楽しいと思うことはありますか?」 「さっき言ったじゃん。女の子相手にしてる時点で超楽しいって」 「・・・・・・失礼致しました。それでは、嫌だと思うことはありますか?」 「あるよ。本気で恋しても気づいてもらえないこと」 「なるほど」 確かに、『誰にでもいい顔をしていそう』というのがホストのイメージだ。本当に好きな人が出来ても、伝わりにくいかもしれない。私は、もれなくメモを残した。 「あんなに分かりやすいアピールしてるのにな」 「そうなんですか?」 「うん、こうやって」 彼がそう言うや否や、私はバランスを崩してソファーに倒れこんでしまった。それが坂田さんによってなされたことだと気づいたのは、私の視界が彼の顔で占められてからだった。 「・・・え、ちょ、これは一体・・・」 「ん、分かんない?マジでキスする5秒前なんだけど」 「・・・・・・は?」 言っている単語の意味は分かる。でもどうしてそんな状況になったのかが分からなくて、私はただただ頭上に?マークを浮かべていた。そんな悠長にしている場合じゃないのは分かってる。分かってるけど、この状況に頭がついていかない。 「だってさ、俺今ちゃんにキスしたいって思ったんだもん」 「な、なんでそんな唐突に・・・」 「あれ、知らないの?」 「へ?」 「ホストって、好きな子にしかキスしないんだよ?」 私は、自分の血の気が引いていくのが分かった。それを知ってか知らずか、目前の坂田さんはにやりと笑って、口を開いた。 「俺、アンタに恋しちゃった」 「すみません、お会計お願いしま・・・」 「カードでお願い」 後ろから伸びてきた手にどきりとする、が、振り向かなくても誰のものかは分かっていた。何で追いかけてくるのよ・・・。 「経費で落とせますから、お構いなく」 「冷たいなあ」 「むしろ喜んで頂きたいくらいですが」 「つれないところも素敵だけど」 ・・・こういう人には一発ガツンと言ってやらないとだめだ。我慢出来なくなって、私は後ろを振り向いた。ニヤニヤしているかと思ったら、意外にも彼は真面目な顔で私を見ていた。どうしてだろう、目が離せない。私が戸惑っていると、彼は優しく笑った。 「折角の初デートなんだから、俺に出させて?」 結局、御馳走になってしまった。と言っても私は烏龍茶とアイスティーしか頼んではいないが。大体初デートってどういうことだ。勘違いも甚だしい。そう思いながらも、さっきから私の心臓はうるさく音を立てっぱなしなのだ。ただ、隣を歩いているだけなのに。どうしてしまったんだろう? 店を出て、大通りに向かう。どうやらこの男は私がタクシーに乗るまでついてくるようだ。・・・タクシーに乗るまで、ならいいが。 「すみません、言い忘れてましたがもう取材は終わりましたので」 「うん、知ってるよ?だから?」 「ですから、もうお店にお戻りになって構いませんよ?」 「ちゃん送ったら戻るよ」 「・・・・・・そうですか」 もう反論する気力も残っていない。それに・・・。私は視線を足もとへと下ろした。ちょっと嬉しかったりもするのだ、この状況が。そしてそんな風に思ってしまっている自分が嫌だ。流されてる自分が、ものすごく嫌だ。 道すがら、電話番号を聞かれたが勿論断った。あっさりと引き下がられてしまったのが何だか悲しかった。 「タクシーすぐつかまってよかったねー」 タクシーに乗り込もうとする私の背中に向かって、坂田さんは言った。ええ、本当に。と答えると、大してそうは思っていないように「残念だ」、と呟いた。私はもう一度振り返った。 「今日はご協力頂き、ありがとうございました」 「いーえ、ちゃんのためですから」 「これからまた仕事ですか?」 「うん、そう。・・・あ、そろそろ戻んないとやべーかも。それじゃ、またね」 腕時計を見た途端に顔をしかめ、坂田さんは踵を返した。別れ際はやけにあっさりしているんだな。・・・それもそうか。所詮仕事相手だ、深入りしちゃいけない。私もタクシーに乗り込んで、座席に腰かけた。これが発車すれば、またいつも通りじゃないか。 バタンとドアが閉まって、運転手さんがハンドルに手をかけた。目的地を告げた瞬間、窓際で何か音がした。何事かとそちらを見れば、そこには。 「さ、坂田さん?どうして・・・」 さっき別れたばかりの彼が、窓を指で叩いている。私は運転手さんに頼んで、慌てて窓を開けてもらった。彼は腕を下ろして、窓の中を覗き込んだ。 「言い忘れてたことがあって」 「何でしょう?」 「うん」 少しの沈黙の後、坂田さんは意地悪そうな笑みを浮かべた。そして、 「・・・おやすみ、ちゃん」 * とはいえまだ仕事は残っているから、布団に潜り込むにはまだまだ時間がかかりそうだ。うんざりした気分で、私は大きく伸びをした。 「・・・・・・坂田、金時、か」 派手な金髪が脳裏に浮かぶ。すごくインパクトのある人物だった。いろんな意味で。でも、思ったより不快感はなかった。それよりむしろ・・・。 そこまで考えたところで、私は頭を振った。もう、あの人のことを考えるのはやめよう。疲れるだけだし。 エレベーターに乗り込んで、今日の取材メモに軽く目を通す。やっぱり坂田さん・・・金時さんの資料が極端に少ないか・・・参ったな。発言の中のどれかを膨らますしかないか・・・。 「本気で恋しても、気づいてもらえない、ねえ・・・」 そういう経験が過去にあって、傷ついたりしたんだろうか。あんな外見や性格だから、きっと傷ついてたってそんなこと微塵も感じさせないんだろうな。それって、すごく悲しい。 チン、と音が鳴って、エレベーターが私の部屋の階に到着した。そこで我に返る。何考えてんのよ、あの人はただの仕事相手なんだってば。しっかりしろ! きっと疲れてるんだ、そうに違いない。私はため息をひとつ落とした。部屋に着いたら、自分へのご褒美にビールでも飲もう、そう思いながら、私は廊下を急いだ。 2009/02/21 戻る |