夜の街、かぶき町。その呼び名に相応しい、こなれた雰囲気を醸し出すスナックの前に私は立っている。・・・多分。
「多分、ここだよね・・・」
夜こそ妖艶な空気に包まれることは間違いないが、今は昼間。生活感丸見えの歓楽街に、私は動揺を隠せなかった。
この二階に、取材相手の経営する万屋はある。万屋って確か、コンビニみたいなもんだよね?今日び見かけないから、既に歴史の教科書に載るレベルかと思っていた。堂々と掲げられている看板を目だけで見上げる。ん・・・万屋ってああやって書くんだっけ?一文字余計な気がするんだけど・・・。坂田先生が見たら何て言うか。・・・いや、何も言わないか。いやいや、それより何でここで彼が出てくるの。頭を左右に大きく振ると、私は覚悟を決めて建物の右側にある階段を登り始めた。カンカンとうるさく響くヒールの音が耳障りで、出来るだけそろりそろりと足を運んだ。どうでもいいけど、何だか嫌な予感がするのは私だけだろうか?


「御免下さーい、大江戸出版の者ですが・・・」
「はいはーい、どうぞー」
声の印象は、ふてぶてしいオッサンと言った感じか。まあ、あまり当てにはならないが。さっきも中年だと予想したら若い先生だったし、今度ももしかしたら・・・・・・いや、せいぜい老人だったとかそんなオチだろう。そんなラッキーなことが2度も起きるわけ無い。

・・・・・・それにしても。

「何でオーナー出てこないの?」
さっき確かに、入室を促す返答があったはずだ。ドアを開けにくる気配がないということは、勝手に入ってこいということか?取材とは言えどもそれはさすがに・・・。
そこまで考えてふと気づく。ここが今で言うコンビニなら、出入り自由に決まっているじゃないか。むしろ出迎えられた方がぎょっとする。苦笑すると、私は引き戸に手をかけた。
「ごめんくだ」
「ようこそ万事屋へ」
・・・・・・ぎょっと、した。まさか人がいると思わないし、その人がしたり顔で白スーツをまとってるだなんて考えもしなかったからだ。無駄にエロい声で「まあ上がって下さい、お姉さん」なんて言うから、取材の順番を誤ったかとしどろもどろしてしまった。
「あの・・・坂田銀時さんで間違いないですか?万屋のオーナーの」
「間違いないですよ。あ、靴は脱いで下さいね。ここ日本だから」
土足のまま片足を上げた私を、坂田さんはやんわりと制した。なるほど、言われてみれば彼も靴を履いていない。アットホームな感じの万屋なのか?よく分からないが、私をおいてすたすたと奥へ向かう坂田さんを見失わないように、私は慌てて靴を脱いだ。



「それでは早速、取材を始めさせていただきますが・・・」
「ええ、どうぞ」
奥のソファーに通された私は、その部屋の殺風景さに些か驚かされた。やはり取材の順番を間違えたか・・・?いやいや、それは無い。
再び浮かんできた不安を胸の奥に追いやると、私は口を開いた。
「それでは、まず・・・・・・・・・」
「はい」
「えっと・・・・・・・・・」
「はい」
「あの・・・・・・・・・」
「何ですか?」
怪訝そうに眉をひそめた坂田さんを、私も同じ表情で見つめた。
「何か気になることがおありなら、そちらを優先して頂いて構いませんよ?」
そう気を使ってしまうほど、坂田さんは挙動不審だった。しきりに玄関の方に視線を送っては、首を傾げているのだ。来客の予定でもあるのだろうか。
「気になること?」
「ええ。さっきから玄関の方を気にしてらっしゃるから」
「ああ。いや、いつ入って来るのかと思って」
そう言って彼はまた、玄関を見やる。
「誰かいらっしゃるんですか?」
「え?・・・またまたァ、とぼけちゃって」
「・・・はい?」
「いるんでしょ?外に、カメラさん」
「カメラ、さん?」
一体何の話だ?目の前でニヤニヤしているこの男性の真意を探ろうと、彼が発した言葉を頭の中で何度も繰り返す。五度目のところでようやく理解したが、同時に何とも気まずい気持ちに心を支配された。話し方とか、服装とか、違和感を感じた部分全てに納得がいく。そういうことだったのか。
「あの、坂田さん。勘違いされてるかもしれないので言っておきますが、これ、テレビの取材じゃないですよ?」
「・・・・・・え、違うの?」
「ええ。雑誌の取材です」
「マジでか!んだよーせっかく色々準備しといたのによォ」
こんなスーツまで用意したってのに。と上着をうざったそうに引っ張る坂田さんを見て、私は密かに安堵した。いつもこんな格好をしているわけではないんだ。
気が抜けた所為か、私の頭に名案が浮かんだ。
「写真でよければ、何枚かお撮りしますよ?」
「え?・・・・・・・・・いや、いいですよ。何か俺が催促したみたいだし」
「そんなことないですよ」
「や、でもいいですマジで。コレ着てんのもいい加減ウザくなってきたんで」
着替えてきますね。と、坂田さんは背後の襖を親指で示して言った。私が頷くと、彼は上着を半分脱ぎながら奥へと消えていった。何とも落ち着きのない人だ。



「すいませんね、お待たせして」
「いえ・・・・・・・・・」
戻ってきた坂田さんの服装に、私は少々驚いてしまった。仮にも客商売なのに、どうしてこんなだらしない服装なんだ。右手を通せ、右手を!
そんな私の心境を知らない坂田さんは、呑気に茶を啜っている。気にするのが馬鹿らしくなって、私は書類に目を落とした。
「それでは、取材に入らせて頂きますね。まず、経営は一人でなさってるんですか?」
「オーナーは俺で、あとアルバイトを二人雇ってます」
「ああ、なるほど。品出しとかって人手がいりますもんね」
「品出し?ああ、食事の準備とか?そうでもないですよ」
「食事の準備?…あれ、こちらって小料理屋さんなんですか?」
「小料理屋?お姉さん、そのボケは無理があるよいくら何でも」
疑問符が羅列する会話に嫌気がさした私はとりあえず、次の質問に進んでしまうことにした。自棄になったのではない、次の質問は   万屋の主な業務を教えて下さい、なのだ。
「依頼を受けてそれを完了させるのが仕事です。まあ平たく言えば何でも屋っつーことなんですけど」
「え、ということは、品物を販売したりはしないんですか?」
「しませんよ?何でまた」
私は書類に記された万屋の文字を見せ、そう解釈した経緯を説明した。坂田さんは呆れ顔でそれを遮り、書類を指差した。
「お姉さん、この書類間違ってますよ。うちの店は万屋じゃなくて万事屋ですから」
「え、だからよろずやですよね?」
「読み方はよろずやですけど、字が違うの、字が」
私のボールペンを奪った彼の手が、さらさらと動いて書類に跡を残す。そこに現れた文字は、先ほど私が疑問に思った看板のそれと同じだった。
「ああ・・・間違いじゃなかったんですね、あれ」
「アレ?」
「いえ、何でも」
誤解していてすみませんでした。と謝罪すると、彼はいいんですよと言いながらペンを返してくれた。典型的な男性の手   骨ばった大きな手だが、どこか優しげに見えるのは何故だろうか。応対には素っ気ない印象しか受けないというのに。
「では次の質問に移りますね。このお仕事を始められたきっかけは?」
「楽して稼げそうな職業だと思って。実際はニートみたいなもんですけどね」
「あまり依頼がないとか?」
「そりゃあね。万事屋なんて正直得体の知れない職業ですしね。だからこの記事に期待してるんですよ俺は」
「おそらく知名度は上がると思いますよ」
「知名度だけじゃなくて好感度も上げたいんでよろしくお願いしますね」
「そうなるように、いいことたくさんおっしゃって下さいね」
簡単に言いくるめられると思っていたのだろう、予想が外れた目の前の相手は、わずかではあるが顔をしかめた。女だからと言ってナメてもらっては困る。連日男だらけの職場で闘っているのだ、口には自信がある。
編集としてのプライドから、あからさまな記事の捏造には賛成できないのだ。経営者がニート同然だと半笑いで言ってしまうような職業を、どうして頼れる職業だなどと言えるだろうか?だからといってフォローをしないわけではない。捏造をしたくなければ無理にでも言わせてしまえばいいのだ。どれだけ期待した答えを得られるか。編集の腕の見せ所だ。
質問内容は・・・以前の職業などがいいだろう。それに比べて万事屋はこんなに素敵な職業なんです。この運びがベストだ。
「以前は、どんなお仕事をなさってたんですか?」
「・・・・・・以前、ねェ・・・・・・・・・・・・」
突然曇った声に顔を上げると、彼の視線は宙を漂っていた。驚くほど暗い陰を帯びた瞳は、まるでビー玉のように無機質で、見ている私をぞっとさせた。こんなにも空虚な目は初めて見た。死人のそれを連想させるといっても過言ではないのだ。
「坂田、さん・・・・・・?」
「え?ああ、すいません。フリーターみたいなもんですよ」
瞬きをすると、彼は自嘲するように笑った。瞳は既に元の色を取り戻している。
「そ、そうなんですか」
「ええ。ホント、記事にならなくてすいませんけど」
「いえ、お気になさらず」
本当に気にしていない様子で、彼はずずずっと茶を啜った。社交辞令ってことに気づけ、全く・・・。
フリーターという世間的にはアウトサイダーな職業・・・職業?まあいい、それをどうやって効果的に利用できるか、そんなことをひたすら考えるが、まったくいい考えが浮かばない。今心を占めているのはもっと別のことなのだが、それを取り去る術を私は持っていない。その原因を見やれば、のんきに欠伸なんかを落としている。何か・・・何か、この人には影があると思ったのは私の思い過ごしだったのだろうか?
・・・まあ、そんなことに心を煩わされるだけ無駄なのだが。所詮これは仕事。もう質問だってすべて終了したし、あとは記事をまとめればいいだけで・・・。そんなに深くかかわる必要など、どこにもないのだ。
「以上で質問は終わりです。本日はご協力ありがとうございました」
必死にそう言い聞かせているのに、悲しいという気持ちが消えないんだからもうどうしようもない。今日の私はおかしすぎる。もっと冷静にならなきゃいけないのに。いつもなら簡単にそれが出来るのに。
「・・・お姉さん、おねーさーん?」
「・・・・・・え?あ、はい?」
「どうしたの、何か元気ないけど」
「そ、そんなことありませんよ」
「そうなの?」
「ええ」
「あそう、それならいいけど」
言いながら、坂田さんはおもむろに席を立った。窓側の机の引出しをあけると、ガサガサとそこをあさり始めた。しばらくして、おお、あったあったなんて呟きながら戻ってくる。
「まあアレだ。お姉さん」
「はい?」
「困った時は頼ってくれや。こう見えて俺、女の人の嘘見破るのは得意よ?」
綺麗な人限定だけどね。と言いながら彼が差し出したのは、名刺だった。
「・・・え?」
「辛い時には辛いって言わねーと、肌荒れんぞ」
「よ、余計なお世話です!」
キッと睨みつけると、坂田さんはさして反省する風もなく、悪ィ悪ィと手を振った。
「愚痴ぐらいだったらいつでも聞いてやっからよー。ただし報酬はイチゴ牛乳一本で」
「何ですかそれ」
「俺、好きなの。イチゴ牛乳」
・・・つかめない男だ。そう思いながら名刺に視線を落とす。一般的なそれとどこも違わないのに、何故かすごく大事なもののように思えた。坂田銀時さん、もしかしたら素敵な人なのかもしれない。
「ところでさ、お姉さんお名前なんていうの?」
「え?最初に名刺お渡ししませんでした?」
「いやいや、もらってねーけど」
「え!?」
私としたことが・・・!スーツのインパクトに気を取られていたせいで、名刺を渡すのをすっかり忘れていたようだ。慌てて取り出すと、坂田さんに差し出した。
「申し訳ありませんでした、私大江戸出版のと申します」
「ご丁寧にどうも。えーと・・・さんね」
「え?ああ、はい」
「イチゴ牛乳、楽しみにしてるから」



再び迷惑な音を鳴り響かせながら階段を降りると、来る前よりはいくらか過ごしやすくなっていた。勿論まだ生活感は丸見えではあるのだが、子供たちが走り回っている姿や、買い物をするお母さんなどの姿も、意外と悪くはない。次のアポまではまだ時間があるから、この商店街をゆっくり歩いてみるのもいいかもしれない。
次の取材場所を確認しながら歩いていると、前方から大きな犬が走ってきた。背中には可愛らしい女の子が笑顔で座っていて、その後ろをメガネの男の子が追いかけている。家に帰るのだろうか?幸せそうでいい。
「神楽ちゃーん!定春にのるなら荷物持ってよ!」
「嫌アル!そんぐらい文句言わずに持てヨーダメガネ!」
「イチゴ牛乳5パックって意外と重いって知ってる!?」
聞こえてきたイチゴ牛乳という単語で、また彼の顔が頭に浮かんだ。今度本気でお邪魔してみようか。報酬も安上がりだし、暇つぶしにはいいかもしれない。
何だか幸せな気持ちで書類を鞄にしまうと、私は少し足を速めた。





2008/08/17


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